俺、まちがってねぇよな?

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才能とは「記憶」であり、努力とは「記録」だ

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音楽なんかやっていると「才能」について考えちゃうことがしばしばあるんですよ。

で、才能って何かというとそれは「記憶」だと思うんですね。

つまり頭の中に留めて置ける情報の量。

 

すぐになんでもできる人って、すぐに覚えて忘れないから、ヒョイっとこなせるわけです。

つまり記憶力が高いってことだと思うんです。

別に勉強だけじゃなく、音楽でもスポーツでもそう。

体の動かし方を覚えておける、それが才能だと思うんです。

 

でも才能=記憶力って人それぞれ違って、必ず限界が来ますよね?

ぼくなんか、たいていのことはすぐ限界がやってきますwww

 

じゃあ、どうするか?っていうと「記録」するしかないんですよ。

つまり脳の外部に覚えておいてもらう。

外付けハードディスクってわけです。

一流のサッカー選手なんかが「サッカーノート」をつけていた、なんて話は有名ですよね。

 

ツイートで紹介したA1理論さんの記事によれば、知識とはその昔「紙」や「活版」であった。

記録するために必要な「記録媒体」がそれしかなかったわけです。

まぁ、古代ギリシャとかは『学校』とか『アゴラ』にこそ、『知識』がまとまって置いてあったんだろうな。

そこに行かないとレアポケモンである『教育』はゲットできない。

そこに行く方法は、苦労して這い上がって行くか、カネで解決ぶぁいやいやい!でショートカット、かのどちらかだったんだろう。

この風習は20世紀くらいまでずっと続いたんだろうな。

なぜなら、結局、『知識』体系が、全て紙と活版印刷術にまとまってたから。

だから、そこに行くこと自体がステータスになった。

ま、日本語でミニマムに言うと『学歴』ってことなんだろうな。

田舎にいたんじゃあ、いつまでたっても、テレビとゲームとパチンコ雑誌と車雑誌の世界だ。

僕が98年に姫路から東京・高田馬場に出てきた時、瞬時に、

「ここに住みたい!!」

って思ったのは、

そこには『本』が溢れてたからだ。

 これはつまり、ぼくの言葉で言うと「努力できる人」と「したくても努力できない人」の二種類が存在していたということだ。

でも、今は違う!

 

でも、21世紀初頭の第1次IT革命、第2次IT革命によって、

『教育』

『知識』

そのものもパケット化し、場所も時間も選ばなくなりつつあるんじゃないかな?

もっと言うと、

『アウトプット』

に関してもそうだ。

人間の脳のストレージ容量には限界がある。

だから、僕は脳のストレージ容量を一定以上確保するため、つまり『忘れる』ためにブログを書いている、と言ってもいい。

 

デジタルという記録媒体の飛躍的進化によって知識は開放された!

それはつまり努力の開放とも言えます。

 

考えてみれば、確かそう思います。

知人がSchooという会社に勤めているのですが、Schooではその分野の一流講師の講義がスマホで見れて、生放送なら質問もできるんです。

今はそんなサービスはたくさんあります。

 

今、あなたの手元に、目の前に、膨大な「知識」がある。

 

また勉強したこと、忘れたくないこと、感動したこともスマホは無限に記録してくれます。

無限のインプットとアウトプットが手中にある時代。

そう思うと、なんだか見える風景が変わってきますよね。

 

今すぐに誰も努力が開始できる。

 

それは大きな希望だとぼくは思います。

 

 

 

 

 

それでは!

 

 

 

 

ところで俺、まちがってねぇよな?